ガーナの日常

ガーナで感じたあれやこれやを発信します。

002:ガーナ到着。ドキドキのPCR検査

7月30日 ドバイを経由しついにガーナ(アクラ空港)到着。

 

成田空港からドバイに向かう機内では欧米系の選手が多かったが、ドバイからガーナへ向かう機内は当然のことながらガーナ人やその他アフリカ系の人ばかり。日本という国を一歩外にでれば圧倒的なマイノリティ。

 

ドバイの搭乗ゲート前のロビーでほとんど民族衣装を着ている人がいないことに気づく。かつてドバイ経由でセネガルに着任した際にはセネガルの民族衣装であるオバサンジョーやタイバースなどを着こなしているセネガル人を多く見かけたが、ガーナ行きではほとんど民族衣装を着た人はいない。この違いはなんだろうか。

 

ドバイからガーナやセネガルに行く場合、飛行機はサハラ砂漠上空を超えていく。窓から遥か下を見下ろすと延々と茶色い(というより白っぽい黄色?)砂漠が広がっている。人々を寄せ付けない過酷な土地が延々と続いている。かと思えば突然大きな町の上空を通過する。本当に不思議な感じがする。ふと、サン・テグジュペリ堀口大学訳の『人間の土地』(新潮文庫)の一説が浮かんだ。

ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合には、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっとも障害物を征服するには、人間に道具が必要だ。人間には、かんなが必要だったり、鋤が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつか少しずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然が、世界共通のものたりうるわけだ。これと同じように、定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

『星の王子様』の著者で有名なサン・テグジュペリだが、元は郵便飛行の黎明期にフランスー西アフリカー南米という未開の航路を自然と闘いながら飛んでいた郵便飛行士だった。彼の時代は今以上に低空を飛び、人々の営みや自然を感じながら飛べていたことだろう。

 

本題に戻る。

アクラ空港に到着するとすぐにPCR検査が待っていた。検査費用は事前にクレジットカードで支払っておりあとは検査だけだった。検査は鼻から細長い棒を突っ込んで粘膜を採取する方法だった。手際よく採取され痛みもなくものの1分も立たないうちに終わった。

その後預入荷物を回収し30分ほど空港内で待機していたら名前を呼ばれてPCR検査の陰性証明書を受け取って空港を後にした。

今回、ガーナに渡航するにあたって大量の日本食を持ち込んでおり、荷物検査で質問されたらどう説明しようと心配していたが、ジャパニーズフードで押し通すことができた。

 

空港の到着口につくと受け入れ担当の方が既に待機してくれていた。

その方に案内されて車で空港を後にした。首都のアクラの街並みは懐かしさすら感じた。建設中の建物、道路上の物売り、巨大な看板などなどどれもセネガルで見慣れた光景だった。強いて言えば通りをゆく人々がほとんど洋服を着ていること、信号が機能していることか。

 

今日から3日間は自主隔離期間。3日間食べる食料だけ買い込んで手配されたウィークリーマンションに滞在する。ワクチンはギリギリのタイミングだったが日本国内で2回打つことができたので少し安心ではある。